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学術書のオープンアクセスについて考える
ご挨拶
原田 隆
東京科学大学アントレプレナーシップ教育機構 特任教授
本セッションは、学術書のオープンアクセスについて考えることを契機に、研究成果のオープンアクセスについて、また学術出版のあり方について考えることを目的にしています。学術論文についてはオープンアクセスが非常に進んでいますし、国の政策にもなっています。しかし、学術書のオープンアクセスにはコストやビジネスモデル、もしくは著作権の処理の問題などがあり、日本では欧米に比べて進んでいるとはいえません。今後どのような方策に展望があるのか現状はどうなのかを、図書館関係者、出版社の方、そして学術書を書く方、読む方、それぞれの立場で講演していただきたいと思っています。
ご登壇いただくのは京都大学URAの天野さん、慶応義塾大学の標葉さん、やまなみ書房の飯澤さん、そしてコメンテーターとして近畿大学の髙橋さんです。学術大会ではありますが率直な個人の意見もお話しいただきますので、その意味で皆さんも気楽にお聞きください。
講演1 なぜ日本の学術書のオープンアクセスは進んでいないのか?
天野 絵里子
京都大学総合研究推進本部 リサーチ・アドミニストレーター(上席)/紀要編集者ネットワーク
では、私から話題提供をいたします。最初なので問題提起も入っています。後のお二人の内容は見ていないのですが、話が繋がると嬉しいなと思います。
まず自己紹介ですが、京都大学の総合研究推進本部の企画部門でURAをしています。URAになって10年ぐらいになりますが、その前は図書館の職員をしていました。図書館の職員をしていた時に、リポジトリの担当としてオープンアクセスで成果を発信していくことに触れて、それ以来オープンアクセスを推進する事業や助成金制度、いまもオープン査読の論文プラットフォームに京都大学が参加している事業に関わっています。
■背景と問題提起
私はURA、図書館員として京都大学の研究者の研究成果の発信を行ってきた中で、オープンアクセスはとても効果的で魅力的な手段だと感じるようになりました。論文のオープンアクセス義務化の政策が進んでいますが、政策で進められているからというわけではなく、私個人としてオープンアクセスはいいなと納得、共感しているので、これを進めたいなと思っています。
雑誌論文ではオープンアクセス化が加速している一方で、学術書のオープンアクセス化は進んでいません。日本だけでなく、欧米でも雑誌論文に比較して進んでいません。ですが、とくに日本発の日本語の学術書は、出版エコシステムが障壁となってオープンアクセス化への道筋がないのではないかと思っています。これは後で説明します。
日本の優れた研究成果が、オープンアクセス化されていないことによって、国際的に流通する機会を失っているのではというのが問題提起です。最初は欧米の現状と事例、それから日本の事例を紹介して、その後に出版のエコシステムの話に戻って、お二人に繋げたいと思います。
■〈欧米の現況と事例〉Directory of Open Access Books(DOAB)収録点数
まず、どのくらい学術書がオープンアクセス化されているのかです。オープンアクセスの書籍を収録しているDOABというディレクトリーがあります。2024年時点で10万点に届こうかという本が収録されていて、誰でも読むことができます。250ぐらいの出版社が参加していて、英語だけでなくて様々な言語の本が収録されていますが、日本の出版社はおそらくゼロではないかと思います。日本語の本を検索してみたら15冊ぐらいあったんですが、私たちが思い浮かべるようなフルの学術書と呼べるものではありませんでした。
■〈欧米の現況と事例〉ビジネスモデル
オープンアクセスで読めるということは読者がお金を払うわけではないので、誰がお金を払うのかなんですが、いろいろなビジネスモデルが試されています。
Book processing charge(BPC)は、論文でポピュラーになってきているAPCと同様に、著者がお金を払うパターンです。SpringerやRoutledgeなど大手の出版社は、BPCによるオープンアクセスを提供しています。
フリーミアムは、後で一つ事例を説明します。
図書館メンバーシップ制、図書館コンソーシアム、Subscribe to Openは、細かいところはちょっとずつ違うんですが、図書館が費用を負担するモデルです。
クラウドファンディングは、個人が費用を拠出するものです。
機関助成は、大学の出版局でOA出版される本は大学が費用を負担するモデルです。
ビジネスモデルに関しては、私と設樂さんが書いた『情報と科学と技術』の論文がエンバーゴが切れて読めるようになっていますので、興味がある方はチェックしてみてください。(https://doi.org/10.18919/jkg.75.6_260)
■〈欧米の現況と事例〉New University Presses(新しい大学出版会):UCL Press
UCL Pressは、New University Pressesと呼ばれるものの一つでUniversity College Londonの大学出版局です。イギリス初の完全オープンアクセスの大学出版会で、設立10年ぐらい経っています。欧米では学術書がとても高く、電子版でもpaywallという障壁があり、一方で図書館の予算は減っているので、正味数百部ぐらいしか売れません。それならオープンアクセスにして誰でも読めるようにしましょう、とウェブサイトに書かれています。これまでに学術書400点、教科書11点、ジャーナル15誌を出版して、242の国・地域から2000万ダウンロードの成果があったとされています。UCLの著者だけでなく、条件に合えばそれ以外の人も受け入れて国際的な出版への貢献も行っています。収入源は、大学からの資金、ペーパーバックなど印刷版の販売、UCL以外の著者からのBPC、助成金、コンサルティングサービスなどです。
他の大学にもいくつかあり、イギリス政府もNew University Pressesを後押ししていて、ツールキットとして出版局立ち上げマニュアルを公開しています。
■〈欧米の現況と事例〉研究者主導のフリーミアムモデル:Open Book Publishers
フリーミアムモデルの代表的なものとしてOpen Book Publishersを紹介します。イギリスのケンブリッジ大学の研究者らによって2008年に創設されたもので、scholar-led、研究者主導が特徴です。他にもいくつかscholar-ledの出版社があって、ネットワークを作っています。知識は全ての人に無料で提供されるべきで、そのためにオープンアクセスは最良の方法、従来のレガシー出版よりも財政的に効率的であり、より包括的であるとしています。
収入源の円グラフがウェブサイトに載っています。Title grantsは著者が持ってくる助成金など、Library Membershipという制度からの収入もあり、紙媒体のセールスもあります。
■〈日本の事例〉文学通信
日本の事例はあまり多くはないのですが、まず出版社の文学通信です。4冊の本の全文を公開しています。大学図書館はリポジトリを持っているところが多くありますが、文学通信は多くの大学図書館で使っているのと同じシステムのリポジトリを入れていて、そこから全文を公開しています。EPUBでも読むことができます。
■〈日本の事例〉国立歴史民俗博物館×Fulcrum(ミシガン大学出版局)
つぎは国立歴史民俗博物館の事例です。ミシガン大学出版局が運営しているFlucrumという出版プラットフォームのブランドがあるんですが、ここと連携してebookのプラットフォームに出版物を載せています。英語の論文が多いのですが、日本語の論考もあります。動画などマルチメディアが載るebookになっているところも面白いと思います。
■日本の学術出版の特徴と問題提起
日本の事例は限定的です。また、欧米のDOABはディレクトリーかつ保存に関するネットワークですが、まだ日本では個別の取り組みが繋がるという感じになっていません。
では、なぜ日本では学術書のオープンアクセスが広がっていないのかを考えると、日本の学術書出版のエコシステムの特徴が背景にあるんじゃないかと思います。
まず、出版構造として一般書と学術書の区別が曖昧です。そして、書籍全般の価格が欧米と比較して安い。欧米の学術書は1万円くらいのものがほとんどですが、日本では学術書でも1万円もするものはほとんどないと思います。研究図書館や研究者だけでなく、一般の人が学術書を購入するマーケットがあるということです。つまり、オープンアクセスにしなくても一般の人に成果が届いているという意識なのかもしれません。
また、著者である研究者が獲得する研究費、出版助成金を原資として出版されることもよくあります。多くは公的資金の補助金で維持されているモデル、システムだということです。
研究評価の観点もあります。(文系では単著の)書籍の出版が、とくに若手研究者のキャリアアップにつながります。編集者を経て出版されることが書籍の内容の保証にもなります。欧米では、査読が学術書が出版されるときの高い質の証明になっています。
マインドセットの問題もありそうです。研究者や出版社には紙の出版物への愛着があるんだなと感じることがよくあります。いろいろな研究者からデジタル化への懸念も聞きます。オープンアクセスにすると軽く見られるのではないか、電子版では深く読んだことにならないのではないかといった懸念です。
こういったことから、政府、出版社、研究者などの間で紙の本に最適化されたエコシステムが強く維持継承されており、オープンアクセスが入り込む隙がないんじゃないかなと思っています。他にもライセンスの点などいろいろな観点からそう思います。
■今日の議論に向けて
今日の議論に向けた問題提起として、ではそのエコシステムのままでうまくいくのかということがあります。このままでは日本の優れた研究成果が読まれなくなるのでは、世界では書籍でもオープンアクセス化が進んでいく中で、世界からますます見えにくくなるのではという危機感を共有できるのではないかと思っています。
とはいえ、エコシステムがしっかり固まっているのでがらりと変えるのは難しい。がらりと変えるのではなくて、日本で学術書をオープンアクセスで出版する選択肢を増やすには何が必要かを考えていったらいいのではないかと思います。政策的にはオープンアクセス義務化を書籍にも適用するという方法があるでしょうし、大学としては大学出版や図書館出版を始めてもよいと思います。京都大学の図書館ではそういう議論を始めています。研究者にとって紙の本の出版はとても価値の高いことでしたが、オープンアクセスを機会であると捉えて、研究者がマインドセットを変化させていくことも可能だと思います。出版社に関しては、この中に出版社の方がいらっしゃいましたら、一緒に考えたいなというところです。私からの話題提供は以上になります。
講演2 オープンアクセスと責任ある研究・イノベーション——と、とある研究者の独り言——
標葉 隆馬
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 准教授
標葉と申します。よろしくお願いいたします。もともと私は京大の農学部に入ったんですが、途中で文化人類学や宗教学のいわゆる人文系にはまりました。文学部に転部しようと思ったら、締め切りましたって言われて諦めました。大学院に進学して、科学論や科学政策をやるようになった人間です。その後、総研大に行って、成城大学が好きなラノベの聖地だったんで聖地に着任したら面白いなと思ったら実際に採用されて、阪大に誘われていって、今年慶応に移ってきました。科学と社会、最近だとELSI(Ethical, Legal and Social Issues)といったジャンルをやってきました。
私は趣味が論文を書くことと本を書くことなので、人文社会系の中では年齢の割には書いている方なんじゃないかと思います。京都のナカニシヤ出版から『責任ある科学技術ガバナンス概論』という本を出しています。専門は科学政策や科学コミュニケーションで、科学技術の倫理的、法的、社会的課題などの本を書いています。
オープンアクセスが今日のテーマですが、この5年間で英語論文だけに絞っても8本ぐらいオープンアクセスにしています。お金がかかります。本も年1本のペースで書こうかなと思っていて、単著と主編著の本だけで過去5年間に5冊、日本語や英語で出版しています。
今日は建前と本音をしゃべろうと考えていて、綺麗事からスタートして、最後に本音にいこうかなと思います。「二郎系」がキーワード、結論です。なぜ二郎系なのかは楽しみにしてもらえたらと思います。
■〈建前〉科学技術政策(お金の流れ)の変化と説明責任
日本の科学政策もそうですし、国際的にもそうなんですが、お金の流れが変わってきたのはご存知の通りだと思います。日本の場合は、2001年の第2期科学技術基本計画の辺りから(大学の資金源の一部が)運営費交付金から競争的資金へと明確に切り替わって、運営費交付金が毎年1%ずつ削られました。世知辛くてしょうがないのが大学の状況だと思います。競争的資金で富める者はますます富み、貧する者は貧する。その状況の中で研究評価の形が問われ、税金を投入したプロジェクトの説明責任が問われることになっていった。そういった科学技術政策の延長線上に、オープンアクセス化の議論があるわけです。
私がやってきたELSIという領域では、先端科学技術や知識が社会に根付く時には倫理的課題、社会的課題がいろいろあるという議論をしてきました。最近ではRRI(Responsible Research and Innovation)という枠組みの中でELSIというキーワードも捉えられるようになっています。お金の流れの変化からきた、より社会的な要請に応えなければいけないとか、説明責任、応答責任を果たすべきであるとかいった議論もここに合流してきます。科学技術政策においてRRIがキーワードになって、ヨーロッパ中心ですが、各国でレスポンシブな何々といったキーワードが出てきています。
■〈建前〉Responsible Research and Innovation(RRI)とオープンサイエンスとの接近
RRIというコンセプトとオープンサイエンスやオープンアクセスの議論はいま近接しています。例えばヨーロッパの文脈では、Horizon2020というのが2014年から20年までありました。その枠組みの中にRRIというキーワードが出てきます。ELSIも大前提で、よりパブリックに開いていこう、科学の民主化をしていこうといった積極的な議論がありました。
今の枠組み、2020年から27年までのHorizon Europeになってからは、RRIの言葉が最初の頃を除き積極的には出てこなくなってきた印象があります。でも、オープンサイエンスの中にRRIのコンセプトが埋め込まれる形で展開されていったことがよく読むとわかります。オープンアクセスやオープンサイエンス、オープンイノベーション、あるいは参加の拡大の背景でかなり効いているコンセプトになっています。
関連文書を見ていくとプロジェクト申請時の必須事項に、オープンサイエンスの推進方策や研究成果の普及と活用に関する計画、ジェンダー公平計画の策定などがあり、そこにRRIの視点がオープン何々といったコンセプトと組み合わさって出てくる展開になっています。
オープンアクセスを含めたオープン化の話と、データシェアを含めたオープンサイエンス、オープンイノベーションとRRIの話が切っても取れないのが現状の欧州の文脈です。例えば、Horizon Europeの第一次戦略と第二次戦略の優先課題を見ると、オープンサイエンス実践が共通して入っていて、データのシェアやオープンアクセスを展開していくことが至上命題として扱われています。「Mandatory immediate Open Access to publications」などと書いてあって、即時オープンアクセスを義務としています。「Open as possible, closed as necessary」、できる限りのデータシェアも並列で語られています。オープンアクセスを含めたオープンサイエンスの推進がイノベーションの礎になる。そこにRRIのコンセプトも含めて営まれている。ここにwidening participationが効いて、最終的には三つのキーインパクト、scientific impact、societal impact、economic impactにカテゴライズされる幅広い効果を生み出す、その礎にオープン化があるんだという位置づけになっているわけです。
ここで建前のまとめをすると、オープンアクセスは、情報アクセシビリティの拡大や格差の是正といった意味で重要視されています。科学参加の拡大の意味でオープンアクセスやオープンサイエンスというときには、これまで科学や知識生産に関わることができなかった階層、あるいは属性の人たちが参加する、それによる多様性や包摂性の確保が重要視されています。市民だったり、中小企業だったり、マイノリティだったり、様々な次元の参加拡大をオープン化というテーゼの中で推し進める目標が表向きに出ています。申請書の記載にも、オープン化のコンセプトに絡めたRRIの要素が陰に陽に求められています。根本に知の公共財化を進める、パブリックグッズとするという側面があるので否定しがたいと思います。ヨーロッパの文脈で話しましたが、こういったことが国際的に進んでいて、オープンアクセスを含めたオープン化は、基本的には今後も変わらないだろうと予想されます。そして実際はどうなっているのかは、天野さんに丁寧にお話いただいたわけです。
■〈本音〉OAをめぐる世知辛さ
ここまでが建前。それ自体はいいんです。だけど、そうは言っても世知辛えよなっていうのが、研究者個人としての本音になるわけです。例えば、海外出版社のジャーナルのオープンアクセスだと、論文1本あたりざっくり30万から50万飛んでいくわけです。ハイインパクトなNature Communicationsあたりだと100万ぐらい。科研費Cぐらいのお金しか取っていなければ、英文校閲とOA代だけで年間予算が飛ぶわけです。やってらんないですよね。ひどい円安なので、オープンアクセスにしようとするともうお金がバンバン飛んでいく。
だけど、論文を書いたとしても英語で書いていなければ国際的にはないのと同じ扱いを受ける、かつ国際誌じゃなければ世界的じゃないのと同じ扱いを受けるという現実があります。しかも実際、オープンアクセスにすると引用されます。国際誌かつOAは読まれる、引用される現実があるのをまず認めざるを得ないわけです。
海外出版社の本のOAはさらにお金がかかります。やってみようかなでできるような話では全然ない。はじめからそれを想定して予算を組まない限りできません。でも、海外出版社の場合は査読が入ります。予算の期限内に、原稿を集めて、査読対応をして、査読を通して出版するのは至難の技です。出版社にもよりますけど、それなりのUniversity Pressで出そうとするとそのプロセスが入るので、そもそも無理ゲーだということですね。
オープンアクセスにとって紀要論文やJ-STAGE掲載論文は大変素晴らしい、懐に優しいオープンアクセスであるといえます。ただし、読まれるかっていうと必ずしも読まれない。とくに日本語だと海外で読まれないし、英語で書いても読まれるための努力は別途必要です。海外出版社の方が読まれるし、インパクトを残せるという嫌な現実は残るわけです。読んでほしいオーディエンスを考えて、泣きながらお金を払うことに日本の研究者、日本に限らず世界中の研究者がなっている。建前はいいんだけど、お金どうするのって、世界中の研究者が面倒くさいと思いながら考えているわけです。
■〈本音〉プレプリント
オープンアクセスには、プレプリントによる話もあります。arXiv、Jxivなどいろんなプレプリントサーバーが出てきているのでその活用は当然ありますが、リポジトリや紀要と構造同値の課題があります。リポジトリやプレプリントサーバーに限らない話ですが、増え続ける論文にどう向き合うのかと、その質保証をどうするのかですね。
プレプリントでオープン化を担保、公表で先取権を取りつつ、同時進行で査読付きジャーナルに掲載されるための努力をするのがいまのスタンダードな行動かと思います。OA代がないとかいろんな事情からプレプリントだけの論文と、査読付きジャーナルにも掲載された論文が等価なのかというと、私はそうは思えません。そこには差があって後者の方がいいのであれば、結局お金がある人が勝つ話になる。やっぱり査読を通して欲しいという研究者のマインドとどう向き合うのか?
プレプリントサーバーの論文には善し悪しがあって、悪貨もそれなりにあります。そういった問題とどう向き合うのか? 根本的に民主的であることが前提となっているシステムなので、一つ一つの質を個々人がより吟味する必要性があります。民主的であると同時に、読み手に負荷がかかるシステムです。
■〈本音〉学術書の出版
一方、学術出版は長く続く出版不況の中にあり、各種費用も高騰しています。本を出そうと思ったら、かなりの高確率で出版助成が必要となる現状があります。数十万円から100万円+αで200万円ぐらいのスケールで必要になります。
それでも、読者の負担は数千円で済む、学術書を読める状況は、狂気の沙汰だと私は思うわけです。出版社の努力でこの値段感が支えられているのはもっと強調していいと思います。海外の出版社の本は1万円、2万円します。円のレートを含めて考えても、出版社の努力で3000円、4000円くらいでちゃんとした学術書が読める状況はすごい。読者負担はあるけれど、かなり安価で疑似OAに近い状況になっているという見方もできると思います。
■まとめ:「二郎系」
最後にまとめです。オープンアクセスは、知識の民主化の重要な基盤です。それは否定しがたい前提なので進んでいくし、進めるのはいいと思います。でも、研究者の資金繰りにとっては、「出費マシマシ、しんどさ多め」の二郎系であると言いたいわけです。一方で、視点を変えると、日本語の学術書のオープンアクセスは必ずしも進んでいないかもしれないけれど、いまの予算感はベストじゃなくてもベターなんじゃないかと思います。3000円、4000円でちゃんとした学術書が読めるのは相当にすごい状況であって、それはもっと積極的に評価してもいいんじゃないかと個人的には考えています。ありがとうございました。
講演3 小規模OA学術出版という試み——定量的議論へ進む前の感想として——
飯澤 正登実
合同会社Liberality やまなみ書房
よろしくお願いします。やまなみ書房の飯澤と申します。今日は、定量的な話はなしで、感想をつぶやく感じにしたいと思います。
■やまなみ書房とは
やまなみ書房は理工系の実験的な学術出版社として2018年に立ち上げたもので、オープンアクセス専業かつオンデマンド専門です。紙媒体を海外頒布可能な体制があり、全出版物にDOIを付与しています。幅広い読者層を狙うのでなく、読者が少ないところや存在しないジャンルを掘り起こしていこうかなと思っています。立ち上げて5年後の2023年に、私の兼業規制のために、理論物理の先生がやっている会社(合同会社Liberality)に業務移管しました。私の専門は物理で、ポスドクをしています。
■学術出版界の現状(感想)
定量的な検討ではなく、私の感想なんですが、学術出版界はいまかなり厳しい状態にあります。維持できるのかどうか、ほぼ維持できないんじゃないかなぐらいの厳しい状況です。例を挙げると、一般の方がほとんど買わないような純学術書の資金繰りをどうしているかというと、身内——分野内の研究者——が購入することを前提に価格を設定しています。よく集団自費出版と言われます。だから、身内の購入冊数が落ちると、例えば科研費が少なくなったりすると仕組みが崩壊する。
教科書は学術出版とは違うかもしれませんが、学部生や修士の学生が買う教科書の資金繰りをどう維持しているかというと、再販制度を利用しています。新刊本をたくさん出して、取次に流すとお金が入ってくる。それで前の債務を返済する。取次に出た本が返本されてくると、また債務になるのでお金を払わないといけない。その返本が来る前に新しい新刊本を出して返品清算するという文字通りの自転車操業。いかにたくさん粗製乱造するかも大切になるという、目も当てられない状況です。
こういう厳しい状態では、大きな出版社(出版コングロマリット)がM&Aなどにより多数の出版者を買収し、1社が多数のインプリント(ブランド)を持つ形が生き残る道になってくるのだと思います。
さらに最近の傾向として、出版原価が高騰しています。書籍の値段も上がって文庫本でも1000円以上になってきていますが、それでも値上げが追いついていません。用紙やインクなどの原価はもっと大幅に上がっています。
資金繰りの関係で、売れても増刷する資金がないという状況もあります。
こういう状況で、フランクでリアルな声がいろんなところで書かれていますが、岩田書院という日本史の学術出版社の「新刊ニュース裏だより」が数字ベースの話も含めて赤裸々に出版事情を語っているのでお勧めです。
■理系(物理系)読者の立場からの出版界に対する感想
読者である研究者の立場からいうと、私の専門の物理ではそもそも優れた書き手は日本人でも日本語では書かない。中小規模のサーベイだったら、有名なレビュージャーナルに出します。そういうところの論文は査読も通っているし、引用しやすいし、みんな読んでいる。求めている文章は書籍ではなく、ジャーナル、論文集、あるいはレビュージャーナルにほぼ載っているという状況です。
学術書はどうなのかというと、まず紙媒体に限定して考えてみると、学術書の蔵書を十分に備えている図書館はすごく限られている。多くの研究者は東大や旧帝大など大きな大学の出身なので知らないかもしれませんが、例えば国立研究所などの図書館は一般的に小規模でほとんど使えない状況です。小中規模大学や私立大学の図書館でも理工系学術書の蔵書はかなり少ない。余談ですが、旧帝大は蔵書が充実していてユーザーにとってはいいんですが、ここにしか納品しなかったとすると7冊しか売れません。
そしてすぐ絶版になります。物理にも教科書はたくさんありますが、例えばランダウ=リフシッツの『理論物理学教程』はみんな読んでいる本なのに、邦訳は絶版になっていてプレミア価格で売られています。必要なものでも絶版で、ほとんど手に入りません。
さらに学術書の読者層の学生や研究者の多くは貧困状態です。ただ、どのくらい貧困かはあまり研究されていないんじゃないかと思います。似た話としてメンタルヘルスの問題もありますが、これもほとんどサーベイされてない状況です。
こういう状況がどうにかならないかと思って私がやったのがやまなみ書房です。
■読者層の人々の行動パターン
文章を探すときに物理の人がどんな行動をするかというと、求めている内容が書かれている論文があったらダウンロードする。でも、マイナーな学術誌だと落とせないことが多い。国立研究所でもあまり論文を契約していないところが多いので、メジャーな雑誌でもダウンロードできなかったりします。どうしようかなってブルーな気持ちで、多忙であれば後回し。書籍の場合さらにダウンロードしにくいですよね。面倒くさいなと感じてしまうわけです。
そんな中、流行ってしまっているのがBlack Open Accessと言われる海賊版サイト、例えばSci-HubやLibGenですね。最近のデータはわからないんですけど、いろんな新聞や研究者に問題が取り上げられています。学術書に関しては、最近メタ、Facebookが海賊版サイトから大量にデータをダウンロードして機械学習に使っていたという話がありました。大手の上場企業であってもそういうものを使うようになっている実態があります。
ブラック海賊版が使われるんだったら最初からオープンにしてくれればいいのにという感じがして、いろいろな方のご協力を得て、やまなみ書房をやりました。
■学術書のOA出版に期待できること
ちょっと明るい話をします。学術書のOA出版にどういうことが期待できるかというと、第一に、お金の問題よりも、コンテンツの保全性を挙げたいですね。オープンアクセスはフリーソフトウェア運動と密接に絡んで生まれてきたものだと思うんですが、創始者のリチャード・ストールマン、法学の立場から理論的整備を行ったローレンス・レッシグといった人たちは、フリーソフトウェアのフリーはフリービアー、無料のビールっていう意味のフリーじゃなくて、free as freedom、自由の意味でのフリーという話をしています。再配布自由が一番重要なんだと。無理があるような話なんですけど、どこで課金してもいいんだ、フリーだけど有料っていうのもあってもいいと言っています。ライセンスの自由度が高いところがポイントなんです。その観点から考えると、紙媒体の場合は特定の大型図書館にしか蔵書がなかったりするわけですね。そうするとその図書館がなくなったらどうするの、国会図書館だったら安全なのという話になります。さらに絶版になったらもう入手困難です。違法だからコピーしないでくださいね、研究者倫理にもとりますよとなったら、もう手に入らない。もしかしたら消失してしまう。でも、コピーが自由になると、いろんな人が持っているから、それだけ保全性が高まる。電子媒体もクローズな電子媒体の場合、ストアやDRMなどコピープロテクトのプラットフォームが消えたらもうアクセスできません。よくアレクサンドリア図書館の話が出てきます。いろんな書籍が保管されていたけれども、2000年前に膨大な文献が消失してしまった。いま残っている文献の中には、海賊版、勝手にコピーしたものが多く含まれていて、それが研究対象になったりするわけです。いまでも海賊版に頼る情報保全が少なからずあって、そこから脱却するにはOA化は不可避です。
もう一つ期待できるのは、OA化すると読者にリーチしやすくなって、結果的に売上が上がる可能性があることです。(https://sr.ithaka.org/wp-content/uploads/2023/09/AUP-SR-Report-Print-Revenue-and-Open-Access-Monographs-091923.pdf)
それから、集団自費出版のコミュニティ外からの読者も得られる可能性が出てきます。そうすると思わぬ繋がりや連携に発展するかもしれない。学術書はこういうものだって決まりきった範囲でやっていたものが、別の角度から新しい学術書のあり方が出てくるかもしれません。そうすると新たな古典的著作が生まれる可能性も出てくる。理工系でいうと、狭い範囲で伝えられるものだけじゃなくて、例えば科学史の観点から見たらどうなのかとか、随筆の観点から見たらどうなのかとか、いろんな可能性が実はあるはずです。そういったことをするにはいろんな読者が簡単に触れられる必要があります。連携に発展する可能性という点からもOA出版は期待できます。
■学術書のOA出版を対象とする研究に期待したいこと(困っていること)
やまなみ書房でOA出版をやっている中で、困ったなと思ったところをいくつか挙げます。OA出版はOAだけ切り取ってもできません。電子化、紙媒体をどうやって出すか、科研費がどういうふうに出版助成をやっているか、研究者の評価基準はどういうところにあるのか。そういったことが絡む、その一角がOAです。複雑な話が多いので、専門家による定量的なサーベイが定期的に見られると嬉しいです。海外の先行事例の包括的なまとめも日本語では少ないので、これも定期的にあるといいなと思っています。
国内の研究者や出版社で、オープンアクセスについての知見や関心がある人がどのぐらいいるのかも気になります。「学術書のオープンアクセスについて聞いたことがありますか?」と訊いたら、あんまりないんじゃないかなと思います。知らないだけなんじゃないかなと。どのぐらい知られているのかの統計もあると嬉しいです。
■学術書のOA出版(+α)にまつわる感想めいたこと
さらに感想を追加すると、OA出版を考えていくにあたって、学術書のあり方そのものを考えていかないといけないと思うんです。学術界は学術書や学術出版にどのような機能を求めているのか。日本語の学術書なんてあんまり読まないというのなら、何にも求めてないことになります。あるいは岩波から出したい、筑摩から出したい、大手から出したいというのなら、優秀な編集者がいて、流通システムがしっかりしてるのもありますが、権威が欲しいのかもしれない。本当に何を求めているのかを明瞭化しないと、OAの議論もできません。
さらに、消費者が出版物に投資するときにどこに価値を求めているのか、消費者は読者なのか、著者なのか? いま、学術書の消費者がほとんど著者、著者イコール読者になっているような気がします。消費者が求めている価値をOA化は増幅するのか?
出版には、編集、組版、印刷、広告、それ以外にもいろいろな機能があります。その全部を出版社が持ってきたわけですが、本当にまとめて必要なのか、その切り分け方でいいのかという問題もあります。編集者、組版をする人、印刷する人、広報のプロフェッショナルは必要だと思います。でも、出版社が必要なのかは考えないといけない。そう考えると、OAがどこに組み込まれるのかという話になります。
例えば、組版・印刷・広報に関しては、共通のプラットフォームを用意するのもいいかもしれません。書籍版のJ-STAGEのような感じでしょうか。
出版の参入障壁が下がっているので、自分でOA出版をやってみるのもいいと思います。参入障壁が下がっていることが、質の高いコンテンツの制作可能性の向上と結びつかないところは注意すべきですけれども。動いてみると何が必要なのか、何が必要じゃないかよくわかってくるんじゃないでしょうか。
いろいろな試みをする必要があるときに、大学や研究所の兼業規制は厳しくて有害です。新しいことを始めようとしても、兼業規制があります、申請が必要です、審査が必要ですとなると足手まといになります。雑駁な感想を話してきましたが、以上です。
コメント
髙橋 愛典
近畿大学経営学部 教授/研究・イノベーション学会 大学経営研究懇談会
近畿大学の髙橋です。よろしくお願いします。お話を伺いながら作ったスライドで雑駁ですが、お話をしてまいりたいと思います。
■図書館の立場(天野さん)
まず天野さんに図書館の立場から、本のオープンアクセスの状況についてご説明いただきました。本当に古い本については私はちゃんと使ってはいませんが国立国会図書館のデジタルコレクションなどがありますし、逆に最新の世界については私も使っていますし、論文にも書いたことがありますがリポジトリがあります。使いこなせていませんが、グーグルブックスもあります。それらとどんな関係にあるのか、どう活用していったらいいのか、私の頭の整理が必要だと思いました。
値段の問題については、需要の価格弾力性が小さいといいますか、買う人は買うし、買わない人は買わないものがあります。私の大学の近くにもあるのですが、古着屋は無人の店が増えています。どうしても欲しい人はいくら出してでも買いたいけれども、そうじゃない人は見向きもしない、その落差を使って無人で商売をしている感じがします。古本もそれに近いところがあると思います。これから出す本については、オープンアクセスで無料に越したことはありませんが、コストがかかりますし、紙の本で読みたい、PDFを印刷するより紙の本がありがたいというのはまだまだあるんじゃないかと思います。私も印刷代は払うからと思ったりします。一時ブックオンデマンドが流行りかかったものの、それを飛び越して電子書籍の議論にいったような気がしますが、そういうのも残していいのではないかと。でも、あまり評判にならないので、どうしたものかと個人的には思っているところです。
■研究者の立場(標葉さん)
つぎに標葉さんの研究者の立場からの発表ですが、建前の部分を整理してくださったので、あまり自分で触れられていなかった部分がようやく頭に入ってきました。イノベーションをガバナンスするというのが、よくわからんなというところです。もっと生意気だった院生の頃には、イノベーションの研究自体どうやってやるのかよくわからんと思っていましたが、イノベーション研究センターがいろいろ研究成果を出していますし、イノベーション自体の知見が深まっているのはたしかです。でも、ガバナンスしようとしているものは本当にイノベーションなんだろうかと思ったりしました。こういった建前をどういなしていくかは、日々、大学改革の圧力にさらされている私どもにとって重要なテーマだと思っています。
お金がかからない研究をしていくしかないかなと、私などは思ったりします。標葉さんは趣味が論文や本を書くことだとおっしゃっていて、私も若い頃はそういう気持ちでいましたが、最近は悪い意味で趣味みたいなものでちょぼちょぼやっていくしかないかな、助成金を取るのも大変だし、取ったら事務処理がややこしいんだろうなと思ったりします。私自身は海外では読まれなくてもいいという諦め、境地ではありますが、若い研究者はそうは言っていられませんね。気力体力があるうちにしっかり研究成果を出していくのは、研究者のキャリアのステップを踏んでいくうえで必要な考え方だろうと思っています。個人的には、標葉さんのような方にこそ、日本語でどんどん新書など書いてほしいなと思った次第です。
■出版社の立場(飯澤さん)
最後に飯澤さんの出版社の立場からのお話に関してです。
最近読んだ『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』という新書で、いわゆる町の本屋さんだけではなく、出版流通全体の話があって、その中で人手不足にも触れていました。
科研費がOAの研究プロジェクトで取れたので、それに関連した研究会を明後日に京都で行うことになっています。私は出版流通や大学の関わり方などを調べてまとめたいと思っているんですが、私の入っている学会では発表のしようがなく、紀要に載せるのがオープンアクセスという意味では無難な気がしてきました。こういった研究のスタンスに、即時公開の原則が影響を与えるような気がします。
それをさらに本にまとめることになったら、オープンアクセスの原則とどうバランスを取ればいいのかがわからないところです。まだ本も書けていないのに、ついそんなことを考えてしまいます。本来であれば、科研費で何年か研究をやって論文を書いて、それをまとめて科研費の出版助成に出してというのが王道なんだろうと思うんですが、それでいいのかという気もしますし、またペーパーワークが増えるなというのが正直なところです。
自分でOA出版をしたらいいというのはおっしゃる通りだと思います。私もそういう試みをいろいろ集めて、お話を聞いたりしています。組版ソフトを買って自分でやってみるのが大事なのかな、そういう研修を大学関係者が受ける機会があってもいいんじゃないかと思ったりします。
いずれにしても、日本のエコシステムで、出版助成を取って、出版社から本を出す、編集の方がいろいろ手を入れてくださる——くださらない場合もありますが——利点がまだ残っていると思います。この状況でどうやってそれを生かしていけるのか。最近は日本についてガラパゴスという言葉も使われなくなってきていますので、いよいよ日本ならではの独自の進化とか、独自の楽園がいろいろな業界で日本から消えていっている状況だろうと思います。どう地道に微調整をして軟着陸をして、いままでのエコシステムの利点を生かしていくかが重要なテーマになっていくと思っています。この後、お時間が許す限り、われわれが一体何をできるのか議論できればと思った次第です。
全体討論
■論文・学術書を書くときに
原田:標葉さんにお聞きしたいんですけど、論文を書くときと学術書を書くときでモチベーションが変わりますか?
標葉:変わりません。どっちも書いて当然だから書く感じです。ただ、髙橋先生もおっしゃっていましたが、最近体力の衰えを感じるので、ジムに行って鍛えてなるべく書き続けようという努力を始めたところです。努力はしています。
■受益者、コストの負担者
原田:論文を書くためにお金集めが必須になっていますね。学術書でも論文でも、研究成果を発信するときのコストを誰が負担するかの問題でもあると思います。標葉さんは、誰が受益者で、誰がコストを負担すべきだとお考えですか?
標葉:研究者は受益者の一番大きなアクターだと私は思っています。
そもそも研究費の原資が税金なので、アクセスしづらいのはおかしいと思っています。だからオープンアクセスの流れは基本的にはいいと思っているんですが、そのコストが高すぎて持続的ではないのが現状だと思っています。もうちょっとオープンアクセスフィーが安いといいなっていうのが根本にあります。そうでなければ、リポジトリやプレプリント的なジャーナルの形がもっと広く読まれる、あるいは質の担保ができるシステムになるといい。でもそれが難しいのであれば、いまの学術出版のシステムは狂気と努力に支えられていると思うんですけども、一方でこれが持続可能になるのであれば、実はこれが妥当解なんじゃないか、このぐらいの安い値段で読める状況は幸せなはずなんじゃないかなと思っています。ただ、相当無理していまの状況があると思うので、すごく気がかりですけど。
■価値、コストの可視化
参加者1:私自身は論文を書く方が好きで、正直本はどうでもいいって思ってるんですけど、いま本を書いています。日本語なら出す価値はあると思っています。
私は元役人ですが行政的には、オープンアクセスとオープンアクセス化は全く違います。いまの学術書の状態なら「オープンアクセス化」は成り立っていると、議論を聞いて思いました。何とか化と言うときには換骨奪胎するのが霞が関の流儀です。いまの日本の学術書は、商業出版ベースのプラットフォームに乗って、安価な価格でアクセスできている。社会的な総費用から見て、安価な価格で学術書にアクセスできる体制が社会的に実現しているわけですよね。つまり、デジタル化が起きる前からオープンアクセスが可能だったということで、日本が誇る学術出版のオープンアクセス性の証明になります。
一方で、欧米的な意味でのオープンアクセス、デジタルで、ネットで、フリーミアムでアクセスできるという視点から見ると、それは一つの障壁ということになる。オープンアクセスにした方が結果としてものすごくお金がかかりそうだと。円安もある中で、どっちが望ましいのかという難しい選択を迫られている。
もっと言うと、一つの選択肢は、そもそも著書なんて業績じゃないとみなす発想だと思うんです。プラットホームに貢ぐ推し活をするのを研究者がいいことだと思うのか、日本のシステムをどう見るかってことなんですけど。
翻訳書を出した時に、編集者が入るとすごくクオリティが上がっていく経験をしました。この価値は商業出版もしくは雑誌出版に余力があったからこそ生じていたんですよね。それが、デジタル化によって崩壊しかけているわけです。これからどうやっていくのか考えるときに、誰が何をやっているか、コストを誰がどう負担するかを可視化できることになります。
デジタルで残すための負担ですが、公的負担問題として片をつける、つまりオープンアクセスフィーを税金で払うことに帰着させるのか、それともみんなからのクラファン、推し活みたいなもので負担すべきなのか、どっちが優れているのかという議論ができると思います。
欧米の本をシリーズのもので買ったんですけど、紙の切り方が違っていて高さが揃っていないんです。日本では紙の本の質がいいですよね。Wordファイルを印刷してそのまま束ねたものと違って、デザイン、もしくは編集者のコンテンツの編集力が大きくある。日本ではURAが大事だといった議論しかできていないんですけど、研究支援産業の観点で見ると、出版社が大きな役割を果たしてきた要素があるわけです。飯澤さんに、どこでどれぐらいの費用を取れば持続可能になるかお聞きしたいです。
■出版の役割の分解
飯澤:出版の役割がいろいろある中で、それをどうみていくかという話になると思います。編集、組版、印刷、広報の4つが大きな役割です。この4つにしっかり分離すると、編集者がどれだけ重要なことやっているかも明確になります。ふわっと出版社とまとめてしまっていたら、編集者がどれだけすごいことをやっているかわかりません。この4つを分離して、違う会社でやってもいいし、奥付につけてもいいと思うんです。それぞれに対していくら払うという形にすると、いろんなものが可視化されて、誰が重要なことをやっているかも明らかになってとてもいいことだと思います。
本の大きさや組版の話もありましたけど、日本の場合は大きな出版社だと組版専門の人がいるし、ほとんどは下請けに出しますが組版の専門家がいます。誰が組版やったか見る人が見るとわかります。誰が組版やりましたって書いてもいいと思うし、それを分けてお金を払うのもあってもいいと思います。これも出版社という括りにすることで、どこに何があるのかわからない、どこに価値をおけるのかもわからない状況になってしまっている可能性があります。
海外でも組版に力を入れている出版社もあります。組版に拘りがあるんだったら自分でやってもいいと思います。典型的な例だと、ドナルド・クヌースは組版が気に入らなくて、自分で組版ソフトのTeXを作りました。分離したうえで、どこにお金を払うのか選択肢を作ると、いまの話できれいにいくのかなと思いました。これがOAとどのぐらい関係するのかは別の話ですが。
■OA化による出版タスク・コストの変化の検討
参加者1:出版社に丸投げできると思ったまま改革を進めるのは無理で、業務分析をしっかりしたうえでタスクに分けて、それぞれにどれだけコストがかかっているのかを踏まえて、オープンアクセスを進めないといけないですね。デジタル化はコストとの兼ね合いで決まるものなので。
この学会で私が理事をしていた時に、印刷する論文誌をなくそうという話をしていました。電子化したら楽にコストが下がるじゃないかという乱暴な議論をしていたら、実は組版などのコストがあって、あまり下がりませんでした。しかも組織会員は1冊1000円で印刷版を受け取れることにしました。デジタル版は検収ができなくて、組織会員が会費を払ってもらえなかったんです。本代として領収書があると税法上払えたものが、デジタルになると払えませんという話で、そういう折衷策に落ち着きました。本当にイノベーションを考えるんであれば、もう少し細かい丁寧な議論が必要なんだなと。学術出版はすごく大事で、丁寧にやらないと日本のエコシステムが損なわれてしまう、世界に向けてこのモデルを普及すべきなのにできなかったといったことが起きかねないと思っています。
■AI時代の出版
参加者2:学術専門の印刷会社をやっているんで、(日本の現状を肯定する)いまの議論は違和感ありますね。印刷会社は丁寧な組版に悩まされ続けてきた。やりますよ、やりますけど、それに対応するお金は払ってくれないので、その議論はちょっと無理がある。
もうちょっと簡便でやりやすい、発表しやすいものでいいと学術コミュニティが考えてくれないのかと。だって、どうせこれから読むのはAIですよ。人間が読みやすいものをいくら作ったって意味ないじゃないですか。データベース側をしっかりやるべきで、人間側で読みやすいものをやるって、それは元の日本に遡っているだけじゃないですか。活版だってそうでしたけどね。ちょっと無理があると私は思います。
日本の構造の中でこれだけ研究費を削られて、皆さんネズミさえ買えないという研究状況の中で、丁寧な出版に拘るのは絶対無理です。しかもこれから読むのは人間じゃないんですよ。まずAIが読んで、AIが選んで、AIが一番いい論文を探してきて皆さんのところに提示して。その段階でAIがきれいな組版すればいいのであって、どうしてそこにそこまで拘るのか。私は研究コミュニティに絶望しますね。
参加者1:分野依存性が大きいんじゃないですか。たぶんマニアックな人たちはすごくマニアック…
参加者2:そうです。うちなんか人文系のめちゃくちゃなやつをすいぶんやってきましたからね。
■紙の本では実現できないオープンアクセスの理念
天野:今日は標葉さんと飯澤さんから、研究者として日本の学術書の状況をどう思われているのかを聞きたいと思っていました。お二人にはすごくコントラストがあって、標葉さんはこの状態で実はオープンアクセスになっているんじゃないかと考えていらして、飯澤さんはかなり悲観的だったと思います。
ただ、共通して、紙の本に愛着がある人が多いんじゃないかと思っていたのが証明されるような発言が、今日の議論の中にもちょいちょいありました。でも、紙の本は機械が読めないなどアクセシビリティーがよくないので、紙の本がみんなが読めるような状態になっていればいいというのは、いまの時代にはそぐわないんじゃないかなと。
そもそも紙の本は、書店か図書館に歩いていって、手で開いて、目で読める人しかアクセスができません。オープンアクセスはインターネットにアクセスできればという条件は付くんですが、いろんな人が世界中どこにいても読めるような状態にしましょうというのが基本的な理念なので、いまのエコシステムだけでは多くの潜在的な読者を見過ごしており、続いていかないと思います。続く方がいいと思っている人が続けたらいいと思うんですけれども、そうではない道筋も模索しないといけない。飯澤さんがそういう術を知らない人が多いんじゃないかっておっしゃっていましたが、私もそうだと思います。何年か前に京大でURAがBPCのモデルを利用して、すごくお金かかったんですが、人文書籍のオープンアクセス化をしました。オープンアクセスの広報というか、書籍もオープンアクセスにできるということを研究者に広めるためにそんな事業をやりました。そういうことを大学としてはやっていてもいいんじゃないかなと思っています。
■モノグラフの残し方、マシンリーダビリティ、AI
参加者3:この問題はなかなか根深いと思いました。一つだけ今日なかった論点を挙げると、そもそも本を電子化する意味があるのかという議論があります。体系的に知をまとめたものを残すには紙の方がいいじゃないか。2000年代に電子ジャーナルはうまくいったけれども、書籍はジャーナルほどうまくいかなかったときに起こった議論で、いまの状況もそれほど変わっていません。
本の電子化やOA化を否定しているのではなくて、モノグラフのような知を体系化したものを残す電子メディアについてはもっと別な形があって良いのではないか。それがオープンアクセスとうまくつながってモデル化されると将来が見えるのではないか。そうでないと袋小路の議論の中でぐるぐる回るというのが私の率直な実感です。その袋小路から脱却するためにも、対話と議論を繰り返して、世代が変わっていくうちに電子書籍に対する捉え方も変わってきて、どこかに新しいデジタルネイティブな仕組みが出るんじゃないかなと推察しています。
原田:オープンアクセスの上にくるのが、たぶんマシンリーダビリティで、それとスナップショットとしての書籍が残っているフレーミングがメタデータになる時代がくると思っています。つぎはオープンアクセスを超えて、マシンリーダブルな意味でのオープン化って一体何なのかというメタな問いがくるんじゃないかなと思っています。
参加者3:その通りです。AIに読ませるだけでなく、AIが論文を書く時代になっているので、人が読みやすいものを作るのもマシーンにやらせることも含めて、そのさらに先の道筋をみんなで一緒に楽しく考えるのが私自身、研究者として正しい姿勢なのかなと前向きに考えています。
■研究広報
参加者4(チャット):研究広報については、各機関でもうまくできないものだと感じています。読者に届くように届ける必要があるのに、システムには関心があるが、内容にあまり関心がない、ということを現場感で持っています。
原田:この辺りについては、研究・イノベーション学会の研究懇談会等でも扱っていきたいなと思っています。科学技術コミュニケーションのあり方をいろいろ考えていきたいと思っています。
本日はどうもありがとうございました。
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主催:研究イノベーション学会「大学経営研究懇談会」
共催:紀要編集者ネットワーク
本セッションは、次のJSPS科研費 基盤研究(C)の助成を受けた研究の成果です。
(1) JP25K15810「日本の〈図書館出版〉の現状・課題・可能性:ダイヤモンドOA振興に向けた基礎調査」
(2) JP23K02501「大学評価への計量書誌指標の導入のもたらす人文社会科学研究への逆機能性に関する研究」
